人生第二章はゼロからのスタート!
人生第二章の始まり!と生きる意欲に人一倍のエネルギ−を費やす、2007年4月に還暦2年生を迎える「チョイ悪オヤジ」の生き様です。
  健康感
食べ過ぎ無い、欲かき過ぎない、働き過ぎない、病気にナラナイ!今の医学は「病気になったらどう直すか」がスタートで、病気にならないには如何にしたら良いか!この部分が棚上げにされて居る。今まで身体に9回のメスが入り持って生まれた虚弱体質、そして交通事故は上げたら切りが無く壊した台数は計り知れない。瀕死の怪我も数回でそんな体験が「生きる」と言うことに人一倍の執念を持つようになりました。戦後、食生活、生活習慣が大きく様変わりし今までの日本には存在しなかった病気が増え医学が発達したが患者は増える一方です。また平均寿命は延びましたがその平均寿命の中には果たしてどれだけの「健康体で動いている方」がいる か分りません。平均ですから寝たきりの方も沢山含まれています。いつも思うのですが「人に迷惑掛けないで生きて行く」にはどうしたら良いか?それは誰でも思っている事でしょうがそれが中々出来ないのです。それは何故か?食欲に負けておいしい物(本当はこれほど身体に悪い物は無い)を沢山食べる食生活を送っているからです。長く健康で人に迷惑掛けない生き方は全てが食べ物と運動量がキーワードです。どうすればよいか?それは抑制意外はありません。強い意志で臨んで「信念を貫き通す」これしかありません。元々放っておくとブクブク太る体質ですがその抑制で身長178cm体重67`体脂肪8〜9、骨量3.3`、新陳代謝量1700`カロリー、筋肉量58`、これは高校生の時と変わらない「体型維持」で、常に体重計とにらめっこ!です。 


 
体型継続サイト http://azusin1.fc2web.com/hdj1/sutailu/1981.html

 
アホな人生かなぁ〜
昭和47年、27歳の時であるが、1銭も無いのに家を建てた。今は存在しない「埼玉銀行」で、建てた家を担保にパーフェクトローンと言うシステムがあり、この融資システムを活用しての1軒目である。敷地56坪建坪22坪と言う27歳の私にとって上出来のマイホームである。2軒目は昭和59年で39歳の年に、これは「建て替え」であった。今までの敷地に33坪の家を、そして3軒目は150坪の敷地に平屋の40坪の家である。この家を建てる数年前に実は大変な事をしでかしたのです。相場物に手を出しウン千万円と言う「借金」が出来、自殺寸前まで追い込まれたどん底を経験しました。天性のガンバリズムで何とか乗り切り、自殺しないで済みました。この3軒目、これは1995年平成7年50歳の時です。更には4軒目、2006年12月に熟年離婚した元妻と息子の住む家を建てたのです。61歳、敷地87坪44坪の広さで、勿論これは私が住むのではありません。元妻と息子の2人が住むに十分過ぎるくらいの広さで、これは協議離婚の条件でした。人生それぞれそして人もそれぞれ!だが、振り返って見ると「夜も寝ないで仕事」をしたが何の苦労も感じず歩んで来たノーテンキ人生、そして楽天人生と思う。だが・・・・・・62歳になった今、人生の折り返しと信じ「人生120歳!120歳!」を本気で生き抜く「業」に挑むのである。新しい妻は20歳以上の年下、しかし数10年前からの知り合いで、決して「君より早く現世を去る」事はしない、と言う「約束のもと」で結婚に踏み切ったのである。永く生きる為の秘訣〜「食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしない」・・・これが私の口癖そして勿論生き様です。このところ病気と言う病気は無し、そして高校生当時と変わらない体型、120歳を目標に絶対元気で生き抜いて見せるぞ。

 
生い立ちのサイト http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/asio/asio.htm
 
同窓会サイト http://azusin1.fc2web.com/haranoko/dousoukai/haranoko.htm

 
趣味では   
HARLEY同好会「なかよし倶楽部」を設立し、22年も経過するとハイエイジ領域に達するメンバーが増えて来ます。当然の事、人は誰でも老いて来るのは必然性。しかし心はいつもローエイジでこのバイク乗りも「生涯現役」、日本で一番の高齢者のHARLEY乗りに挑戦するのです。定年と言う概念は「60歳」を形容しますが、この60歳は人生の折り返し地点、まさにこれからの人生の門出!なのです。(2007年4月で62歳) 人は誰でも120歳まで生きられる資質を持っている本来120歳まで生きられるのに、生きるために悪い事を行い、一引き二引きと消去法で寿命を短縮しています。人に迷惑掛けず元気に長生きするには、その消去法の網に掛からない“体に良くない事”を避ければ良い事で、それが長生きの秘訣です。まさに定年=60歳は120歳生きる為の折り返し地点で、お祝いすべき「門出の歳」なのです。

 
趣味サイト HARLEY  http://www.hdj1.com  
              ポルシェ911 http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/azuma/porushe.htm 
               2輪暦    http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/gazou/baikureki.htm
               4輪暦    http://azusin1.fc2web.com/kurumareki/kurumareki.htm
 
 
長生きの秘訣
食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしない、このフレーズに尽きるのです。食べすぎ飲みすぎはカロリーや栄養の摂り過ぎで必ず糖尿病などの現代病疾患が、ものぐさ=運動不足、栄養過多にこの「ものぐさ」が伴ったら、もう末期的症状です。美味しい物の摂取にはくれぐれもご注意を!
これも長生きの一環?
2006年12月「協議離婚」で36年間共にした妻と別れてしまった。十数年間、気持が他の女性に向かいその女性と結婚する為である。こんな事が世間一般に許されるだろうか!他人様には理解しがたいだろうが、夫婦の間にしか解からない事も多く、これはどうする事も出来ない現実です。勿論、元妻がこれから息子と生きて行く上で、路頭に迷う事の無いよう道筋立てて「協議離婚」が成立したのです。この離婚に付いて多くは批判的ですが、これには「俺もやりたいが出来ない」裏返しの「妬み」と解釈しそれは抱いている「願望」をやってしまった悔しさ!と受け止めています。


 
欲かき過ぎない
この歳になっての20歳以上も離れた年下の女性、と言うと多くは「違和感」を心配しますが、不思議なもので「相性」とはこう言うものかとつくづく感じます。それは食い違う事が皆無なのです。ただカラオケだけはダメですが、趣向、フアッション、映画、旅と・・・元妻とは新婚当時からそりが合わず話し合う事が殆ど無いに等しい状況であったが、しかし今度の妻とは10数年間の交流で、激しい喧嘩をするが相性が良いとその喧嘩も後に引きずる事が無い。10数年間、私一人に気持が向き「一途さ」に責任の重さを感じ結婚に踏み切ったのです。元妻に対しても放り出す!と言う事も出来ず、全ての持ち合わせているお金と?000万円程の 住宅を建て、そこに息子と住まわせ「慰謝料」の形式で協 議離婚に至ったのです。やはり離婚はそれなりのリスクが伴い、円満解決等は有り得ないが、しかし少しはそれに近づいたかなと安堵の胸を撫で下ろしています。友人は「無いものねだり」と言うがそれは秘めたる中身を推し量る事など到底理解できないでしょう。これは長生きの秘訣の「欲のかき過ぎ」違反となるかなと危惧しています。20歳以上年下の女性との再婚は「批判」「妬み」をしっかり受け止め、これをバネに「後ろ指指される」事が無いよう「120歳」生きねば・・・・全てを自信に変換する。

 
2007年62歳!
セカンドステージの始まりは生きるための構想で忙しい。ネットを利用しての「仕事場」の構築です。信用度のバロメーターである国からの許可書も下りて、やっと動き出しました。ある程度の進ちょく状況になったら「公表」したいと思うのですが当分は利益が厳しいと想定して、しかしそれも扱う「素材」でクリア出来る物と確信しています。これからのセカンドステージが「夢」と「楽しさ」そして「意欲」が胸膨らみ、生きがいが今まで以上に高揚しています。天性のガンバリズムと楽天性そしてノーテンキは、恐れる事無く世間に立ち向かう強い意志で解決し、そこで更なる生きる楽しさを加味するのです。同世代の方、私のように「セカンドステージはゼロからのスタート!」、悠々自適の方々から見たら「何と馬鹿げた!」と映るかも知れませんが、それを楽しさに変換するのも120歳まで生きる手立ての1つと、考えるのです。人生120歳!120歳!は何事も「プラス思考」で過ごす。
プロフィールインデックス
1945年生まれ酉年